ロバート・S・マクナマラ、マクナマラ回顧録、1995、共同通信社、仲晃訳、1997

[*54]インドシナが共産主義の手に落ちれば、アメリカの安全を脅かすというトルーマン政権の見解を、後継のアイゼンハワー政権も受け入れていたことを私は承知していました。アイゼンハワー政権は、インドシナに米軍の兵力を投入するのは乗り気ではないように見えましたが、同地に共産主義の脅威が迫っていると明確な言葉で頻繁に警告していました。アイゼンハワー大統領は一九四五年四月、もしもインドシナが(共産主義の手に)落ちれば、東南アジアの残りの部分も、「ドミノの列のように」「すぐさま倒れてしまう」だろうとの有名な予言をしています。そして「こうした損失の結果は、自由世界にとって計り知れないものになる可能性がある」と付け加えたのでした。[FN3]

FN3 PUblic Papers, Dweight D. Eisenhauer, 1954 (Washington: U.S. Government Printing Office, 1960), pp. 382-384.

[*95]この危機の最中に、ケネディ大統領がどう考えていたかをさらに明るみに出したのはNBCテレビの[*96]イブニング・ニュースのアンカーマン、チェット・ハントリーとデービット・ブリンクリーに対する九月九日のインタビューでした。

「大統領」とブリンクリーが尋ねました。「南ベトナムが崩壊すれば、残りの東南アジアもこれに続くだろうという、いわゆる『ドミノ理論』を疑う理由をもたれたことはありますか?」。アイゼンハワーの警告を思い出したのでしょう、大統領は答えました。「いいや、私はそれを信じているよ・・・。中国はあまりにも巨大で、国境の向こう側に高くそそり立つ存在なので、もしも南ベトナムが倒れたら、マラヤ(現在のマレーシア)にゲリラ攻撃をかけるための中国の物理的な立場をよりよくするだけではなく、東南アジアでの将来の波は中国であり、共産主義者であるという印象を与えることになる。だから、私はそれ(ドミノ理論)を信用するのさ」[FN19]

FN19 Public Papers, John F. Kennedy, 1963, p. 659.

[*151] 大統領はディーン、マック、それに私に反応を聞いてきました[FN12]。...私は当時アメリカの文官および軍部の首脳陣の間でもたれていた一般通念に基づき、次のように述べました。
[*152] (もしも南ベトナムが共産化すれば)東南アジアではラオスがまず間違いなく北ベトナムの支配下に入ります。カンボジアは中立の外観をとるかもしれませんが、事実上共産中国の支配を受け入れるでしょう。タイは非常に不安定になるでしょうし、今ですらインドネシアに包囲されているマレシーアも同じdす。ビルマでさえものこの情勢を、東南アジア全域が今や完全に共産主義に順応せざるをえなくなった明白な証拠と見ることでしょう。...[FN13]
[*153]しかしわれわれは、どの程度の米軍兵力が最終的に必要となるのか、成功のチャンスはどの程度あるのか、もしやるとすれば、政治的、軍事的、それに人員の面で残すとはどれくらいになるのか、といったことを最新に議論したことは一度もありませんでした。実際のところ、こうした基本的な問題は検討されないままだったのです。
われわれは、滑りやすい悲劇的な急斜面をいま滑り落ち始めていました

FN12 一九六四年一月六日付、マイク・マンスフィールド上院議員から大統領への覚書、FRUS, 1964-1968, vol. 1, pp. 2-3; ならびに一九六四年一月九日付、安全保障問題担当特別補佐官から大統領宛の覚書、同pp.8-9を参照。

FN13 一九六四年一月七日付、大統領へのメモ、同pp. 12-13

pp.174-176にも類似の記述あり。


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退廃と希望

「社会の絶望や退廃を描くことは、今や非常に簡単だ。ありとあらゆる場所に、絶望と退廃とがあふれかえっている。...近代化が終焉して久しい現代に、そんな手法とテーマの小説はもう必要ではない。」二〇〇三年にアラスカで、村上龍は自身の短編小説「空港にて」の後書きにこのように書いた。

一九七八年生まれの私が村上龍の存在に気づいたのは高校生に入ってからで、その時に既に初期三部作はもとより、それに続く彼の暴力と退廃を描いた作品は世に出ていた。多感な高校生時代に私が出した結論は、二〇〇三年の村上龍と同じだった。限りなく透明に近いブルーから始まり、村上龍が先導した運動は、一九九七年の時点で既に陳腐化していた。技術がそうであるように、ルネサンス以降、人間が人間の本質を追い求めてきた運動は、明治末から日本文学に輸入され、それが村上龍によって葬り去られた(例えば、イビサのラストシーンがそれを象徴している)。退廃は程度の差が多少存在するだけで、人間の本質を前進させる効用を持たない。誰もが本質的には退廃的で、それに同意し、それをかいま見るために文学の力を借りるだろう。著者は発行部数を自分の名声と重ね合わせ、それが時代に受け入れられたのだと感じるのだろう。ただ、結局のところ、文学の形態を用いずとも人間は元来退廃的で、そこに多くの意味を見出すことは本質的には意味がないのだ。意味を見出しているということはなく、単に意味を付与しているだけなのだ。苦労して作り上げるよりは奪う方が簡単だ。パスカルのパンセ二九五にある「295 僕のもの、君のもの。『この犬は僕のだ』とあの坊やたちが言っていた。『これは僕の日向ぼっこの場所だ』ここに全地上の横領の始まりと、縮図とがある。」から私たちはいつまでも抜け出すことができない。大人になったところで、それが核兵器と国土に変わるだけだ。

退廃的になり続けたあげく、人間は自殺を試みる。何よりも退廃的な物語を読んでもどこにもたどり着くことがない。首を吊る勇気がある人間はその試みに成功し、それ以外の方法を試した人間は大体一度や二度失敗することになる。退廃を見続け、もっとも退廃的な人間を見続け、もっとも退廃的な行動を試みる。バタイユのエロティシズムそのままに。

そして、そのときの私は二〇〇三年の村上龍と同じように希望を描くことがこれからの文学の使命になるのだと結論づけた。時代に応じて暴力と退廃が変わったように、希望も今後時代によってその形態を変えるだろう。

december 29, 2007
bgm: ludwig van beethoven, op. 125


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google browser syncのlogファイルが大きすぎる

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Matthew 9:9

Matthew 9:9

「9:9 イエスはそこから進んで行くと,マタイと呼ばれる人が収税所に座っているのを見て,「わたしに従いなさい」と彼に言った。彼は立ち上がって,イエスに従った。」

Matthew 9:9

"9:9 As Jesus passed by from there, he saw a man called Matthew sitting at the tax collection office. He said to him, “Follow me.” He got up and followed him."

caravaggioの作品はこれを劇的に描いたもの。光の使い方でいえば、cはvermeerと等しく、個人的趣味でいえば勝っている。

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ブルドッグと理論

isologueのarticleに関して、漠然と以下のとおり考えました。判決文もまだ読んでいないので、後で誤りを修正する必要があると思っています。

1. ECMHと裁定取引の可能性の不存在が妥当するとして、希釈化後の株価は希釈化の度合いから算定できる。isologue指摘のとおり、「株式分割バブルのときと同じ現象」(isologue)が起きる可能性はある。

2. 「差し止めが発生して、希薄化が発生しない可能性のプレミアム(リスク)」(isologue)は当時存在していたが、その後このリスクは解消された。この情報が株価に折りこまれた時点の株価をチェックすることにより、上記が正しいかが確認できるはず。米国のempirical studyでは、情報が市場に織り込まれるまでの時間は約1分で2分かからない。

3. 上記、希釈化後の株価から算定される新株予約権の価値で特定株主の新株予約権を償却する場合、経済的損失を与えないので、所謂poison pillと同等では語ることができない。

4. 上記、希釈化後の株価から算定される新株予約権の価値以上で特定株主の新株予約権を償却する場合、特定株主への利益供与に等しい。この場合、green mailと違い、stand still agreementが会社と特定株主の間でないから、特定株主への利益供与によって株主価値は減少し、その低くなった株価で特定株主が買い増しできる(無論、新株予約権が償却されたことによる現金を用いる)ことにより、買収防衛策としての価値は見出すことができない。

5. 株主総会での投票に関しては、game theory等でなんらのbiasが存在していないかを考える必要がある(今のところ見当たらない)。

投票率が高かったのはarbsの影響か、それとも野村が株主に働きかけたからか。上記では現金交付時期等の時間に関する問題は取り扱っていない。これは特に訴訟が起きて長引く場合には予測が難しい。そのリスク自体、株主としては損失であると考えるが、それに基づいて何らかの主張を訴訟で通すのは難しいだろう。

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自由からの逃走、エーリッヒ・フロム、日高六郎訳

[*266] このような考えは、あらゆる外的な束縛から個人を解放することによって近代デモクラシーは真の個人主義を完成したという通念と対立するものである。われわれはどのような外的権威にも従属していないことや、われわれの思考や感情を自由に表現できることを誇りとしている。そしてわれわれ[*267]はこの自由こそ、ほとんど自動的に我々の個性を保証するものであると考えている。\strong{しかし思想を表現する権利は、われわれが自分の思考を持つことができる場合においてだけ意味がある}。外的権威からの自由は、われわれが自分の個性を確立することができる内的な心理的条件があってはじめて、恒久的な成果となる。われわれはその目標を達成したであろうか。あるいは少なくともそれに近づきつつあるだろうか。本書は人間的な要素を取り扱うのであるからこの問題を批判的に分析することこそその仕事である。そうすることによって、我々はこれまでの諸章に脱落していた意図を拾い上げることができる。近代人にたいする自由の二面性を論じたとき、現代において、個人の孤独と無力を増大させている経済的諸条件を指摘した。すなわちその心理的結果を論じて、この無力は権威主義的性格にみられる一種の逃避を導くか、あるいは孤独となった個人が自動人形となり、自我を失い、しかも同時に意識的には自分は自由であり、自分にのみ従属していると考えるような脅迫的な画一性を導くことを示した。

新版、1965

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論語

02-10 子曰。視其所以。觀其所由。察其所安。人焉廋哉。人焉廋哉。
子(し)曰(いわ)く、そのもってするところを視(み)、その由(よ)るところを観(み)、その安んずるところを察(さっ)すれば、人いずくんぞ廋(かく)さんや、人いずくんぞ廋(かく)さんや。

03-04 林放問禮之本。子曰。大哉問。禮與其奢也寧儉。喪與其易也寧戚。
林放(りんぽう)、礼の本(もと)を問う。子(し)曰(いわ)く、大なるかな問いや。礼はその奢(おご)らんよりはむしろ倹なれ。喪(も)はその易(ととの)わんよりはむしろ戚(いた)め。

03-15 子入太廟。毎事問。或曰。孰謂鄹人之子知禮乎。入太廟。毎事問。子聞之曰。是禮也。
子(し)、大廟に入り、事ごとに問う。或るひとの曰く、孰(た)れか謂う、鄹人(すうひと)の子(こ)礼を知ると。大廟に入りて事(こと)ごとに問えり。子(し)これを聞きて曰く、これ礼(れい)なり。

03-18 子曰。事君盡禮。人以爲諂也。
子(し)曰(いわ)く、君(きみ)に事(つか)うるに礼を尽(つ)くせば、人はもって諂(へつら)いとなすなり。

04-05 子曰。富與貴。是人之所欲也。不以其道得之。不處也。貧與賤。是人之所惡也。不以其道得之。不去也。君子去仁。惡乎成名。君子無終食之間違仁。造次必於是。巓沛必於是。
子(し)曰(いわ)く、富と貴(たっと)きとはこれ人の欲するところなり。その道をもってこれを得しにあらざれば処(お)らざるなり。貧と賤(いや)しきとはこれ人の悪むところなり。その道をもってこれを得しにあらざれば去(さ)らざるなり。君子は仁を去りて、悪(いず)くにか名を成さん。君子は終食の間も仁に違(たが)うなく、造次(ぞうじ)にも必ずここにおいてし、顚沛(てんぱい)にも必ずここにおいてす。
04-08 子曰。朝聞道。夕死可矣。
子(し)曰(いわ)く、朝(あした)に道を聞けば、夕(ゆうべ)に死すとも可(か)なり。

04-11 子曰。君子懷徳。小人懷土。君子懷刑。小人懷惠。
子(し)曰(いわ)く、君子、徳を懐(おも)えば、小人は土(ど)を懐い、君子、刑を懐えば、小人は恵(けい)を懐う。

04-12 子曰。放於利而行。多怨。
子(し)曰(いわ)く、利を放(ほし)いままにして行えば、怨みを多くす。

04-14 子曰。不患無位。患無以立。不患莫己知。患無可知也。
子(し)曰(いわ)く、位(くらい)なきを患(うれ)えず、もって立つなきを患う。己を知るものなきを患えず、知らるべきなきを患うるなり。

04-16 子曰。君子喩於義。小人喩於利。
子(し)曰(いわ)く、君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩(さと)る。

04-17 子曰。見賢思齊焉。見不賢而内自省也。
子(し)曰(いわ)く、賢(けん)を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢(ふけん)を見ては内(うち)にみずから省(かえり)みるなり。

04-20 子曰。三年無改於父之道。可謂孝矣。
子(し)曰(いわ)く、三年、父の道を改(あらた)むるなきは、孝と謂(い)うべし。

04-21 子曰。父母之年。不可不知也。一則以喜。一則以懼。
子(し)曰(いわ)く、父母の年は知らざるべからざるなり。一(いつ)にはもって喜び、一にはもって懼(おそ)る。

05-04 或曰。雍也仁而不佞。子曰。焉用佞。禦人以口給。屢憎於人。不知其仁。焉用佞。
あるひと曰く、雍(よう)や、仁(じん)にして佞(ねい)ならず。子(し)曰(いわ)く、いずくんぞ佞(ねい)なるを用いん。人を禦(ふせ)ぐに口給(こうきゅう)をもってすれば、しばしば人に憎(にく)まる。その仁なるを知らず、いずくんぞ佞なるを用(もち)いん。

05-15 子謂子産。有君子之道四焉。其行己也恭。其事上也敬。其養民也惠。其使民也義。
子、子産(しさん)を謂う。君子の道、四つあり。そのおのれを行なうや恭(きょう)。その上(かみ)に事(つか)うるや敬(けい)。その民を養うや恵(けい)あり。その民を使うや義(ぎ)あり。

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A Conversation with Paul Krugman

SIMON: Let me interrupt to quote one of your most memorable phrases. You say, 'The US government is best viewed as a big insurance company that also happens to have an army.'

Prof. KRUGMAN: That's right. Actually I stole that from Peter Fisher, the undersecretary of Treasury.

a conversation with paul krugman, npr

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daily show with jon stewart with hillary r. clinton

daily show with jon stewart, celebrity interview with hrc.

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キャッチャー・イン・ザ・ライ、J. D. サリンジャー、村上春樹訳

[*191] でも一つ愉快なことがあった。ついさっきどこかの教会から出てきたばかりとおぼしき一家が、僕のすぐ前を歩いていた。...[*192]何を歌っているのかを知りたくて、僕はその子の近くに寄ってみた。その子の歌っているのは、「ライ麦畑をやってくる誰かさんを、誰かさんがつかまえたら」という歌だった。

[*286] 「でもとにかくさ、だだっぴっろいライ麦畑みたいなところで、小さな子供たちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子供たちがいるんだけど、他には誰もいない。つまり、ちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕の他にはね。それで僕はその辺のクレイジーな崖っぷちに発っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子供がいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子供なんかがいた[*287]ら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。たしかにかなりへんてこだとは思うけど、僕が心からなりたいと思うのはそれくらいだよ。かなりへんてこだとはわかっているんだけどね。

[*329] そこで何をするつもりだったかっていうとさ、聾唖者のふりをしようと思ったんだ。そうすれば誰とも、意味のない愚かしい会話をする必要がなくなるじゃないか。誰かが僕に何か言いたいと思ったら、いちいちそれを紙に書いて手渡さなくちゃならないわけだ。しばらくそんなことを続けたら、みんなけっこううんざりしちゃうだろうし、あとはもう一生誰ともしゃべらなくていいってことになっちゃうはずだ。みんなは僕のことを気の毒な聾唖者だと思って相手にもせず、放っておいてくれるだろう。

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緋文字、ホーソーン

このようにヘスター・プリンは言って、悲しげな緋文字の上に落とした。そして、長い年月を経てから新しい墓穴が、のちにキングズ・チャペルが建てられた場所に隣接するあの墓地の、古くて落ちくぼんだ墓のそばに掘られた。それは確かにあの古く落ちくぼんだ墓の側に掘られたが、その二つの墓穴は少し離れていて、ここに眠る二人の塵には混じり合う権利がないかのようであった。しかし、二人のための墓石は一つで事足りた。その周りには、紋章が彫られた墓石がいくつもあった。そしてこの粗末な石版の上には--注意深い探索者なら今なお見分けることができても、その趣旨が解りかねて困惑することであろうが--縦型の紋所めいたものが彫られているのが見えた。それは一つの紋章で、その紋章学者流儀の講釈は、今ここに終わろうとしている物語の題辞(モットー)とも、簡単な記述ともなろう。この物語はなるほど暗いけれども、絶えず燃えさかる、影よりもなお暗い一点の光によってのみ際立ち、かつ救われているのである--。

「黒地ニ赤キAの文字」

The Scarlet Letter, Nathaniel Hawthorne, Wikipedia

The Scarlet Letter, Nathaniel Hawthorne, Project Gutenberg

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ミル、自由論、塩尻公明/木村健康訳、岩波文庫

ミルによるマルクス・アウレリウス

[*55] いやしくも権力を持っている人のうちに、自らを同時代中もっとも善良なまたもっとも学識あるものと考えうる理由を持っている人があったとすれば、それは皇帝マルクス・アウレリウスであった。文明世界全体の専制君主でありながら、彼は生涯を通じて最も欠点のない正義を保持したのみならず、彼の受けたストア的な養育からは一層期待し難く思われたもの、すなわち最も愛情のある心をも持っていた。彼に帰せられる少数の弱点は、全て、寛大に走るという傾向にあった。また、古代精神の産物である最高の倫理的作品すなわち彼の著作は、キリストの最も特徴的な教義と異なっているとしても、その際は殆ど知覚しがたい[*56]程なのである。彼の後に出て世に君臨した、キリスト教徒であることを明示した君主たちの殆どいかなる人と比較してみても、キリスト教徒という言葉の教義的な意味を別とすれば、あらゆる意味において、よりよきキリスト教徒であったところのこの人が、キリスト教徒を迫害したのである。

[*59] 迫害はおそらく真理を傷つけ得ないものであるから、真理を迫害することは是認せられうるという理論は、新たな真理の受容に対して故意に敵対するものとして非難されることはできない。

ミルによるソクラテス

[*66] ソクラテスは死刑に処されたが、ソクラテスの哲学は太陽のごとくに天空に昇り、理知の天空の全体を光被した。

[*70] しかし、終局において正統的な結論に帰着しないような一切の探求を禁止することによって最も堕落させられるものは、異端者の精神ではない。最大の損害を被るものは異端者でない人々であって、異端に陥ることを畏れる余りに、その人々の精神の発達が全て束縛され、その理性の活動が驚かされるのである。

[*70] 思想家としては、それがどのような結論を導き出そうとも、飽くまでも己の知性に随って行くことこそ第一の義務である、ということを認めない者は、とうてい偉大な思想家とはなりえない。

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学問芸術論 解説 前川貞治郎

ルソーの「学問芸術論」が華々しい論戦を引き起こしたのは何故だったのだろうか。それを理解するためには、18世紀中頃のフランスの社会状態を顧みなければならない。18世紀の前半には、相反する二つの大きな動きがあった。...

ルソーが、この「学問芸術論」の中で、特に攻撃している「奢侈」がこの上層階級の生活を対象にしていたことは、言うまでもない。それだけに、当時の為政者にとって、この論文が危険視されたのも当然である。まして、その奢侈の原因を社会の不平等にまで求めるとき、それは当時においては、革命的とさえ考えられる。

このようなルソーの主張に対して、上層階級に、いわば寄生している多くの人々、--学者、僧侶、その他の著作家たちが、筆を揃えて反駁したのもまた当然であろう。論争が華々しくなった社会的基盤がここにあった。

十八世紀中頃には、幾つかの注目すべき作品が相次いで発表された。モンテスキューの「法の精神」は1748年、ビュッフォンの「自然史」の第一巻が1749年、ルソーの論文が50年、しかもこの論文の主張と正反対に、学問の進歩を讃える序文を含むディドロとダランベールらの「百科全書」の第一巻が1751年に出版されている。これらは、その対象や方法において、差異はあるにせよ、現状の批判という点では、何れも一致している。「まさに、この世紀の中葉こそ思想の中で準備された革命によって、人類の一時期を劃するように定められているかのようであった」。この「思想」の革命こそ、フランス革命の知的期限の温床をなすものであり、ルソーのこの論文も、その温床に咲いた花として、やがて、フランス革命に実を結ぶに至るのである。

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模倣 imitation、アラン、定義集

天使 ange

これは使者、幸福な使者、待たれた使者、歓迎される使者である。天使は老いた者ではない、天使は学者ではない。ただ、彼は新しい時を告げる。天使は裁かない、天使は赦しもしない。彼は喜んで与える。彼が齎すものは証ではない、それは一つの音信(おとずれ)である。「こんなことではいけない」と、彼はなたの髪を直すのと同じように単純に言う、「あなたは呪われてもいけないし、悲しんでもいない。あなたは無用な者でもないし、勇気を欠いてもいない。私があなたにそれを言うのは、それを知っているからだ。ところが、あなたにはそれがわかっていない」。天使は議論しない。

模倣 imitation

出てくるそばから手本とするならば、それは愚かな形式である。反対に、それが選んだものであるなら、模倣は自分を勇気づける方法である。なぜなら、人が既にやったことは、君も立派にやれることだから。従って、感嘆するのはいいことであり、人が感嘆することを真似るのはいいことである。『キリストに倣いて』は、[題名通り]人間の宗教であることを自白している。なぜなら、紙を模倣することは絶望的なことであるから。「神である人間[キリスト]」を、人は真似るのだ。

一文目が印象的。それ以外は否定はしない。

後悔 regret

これは起こってしまったことを凝視して、そうでなかったらよかった、あるいは起こらなかったらよかったと思うことである。後悔は悔恨、あるいは悔い改めに変わることがある。後悔そのもののなかには、過去を伴った悲しみがあるだけで、責任者の観念がそこに入り込むことはない。後悔の持つ全ての役目は事物に秩序を与えることである。

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cnn youtube debates - democrats

cnn youtube debatesを見ている。画期的。presidential debatesに感心したけど、新しい技術を選挙戦のプロセスに組み込む米国マスメディアの力に今回は感服。日本では、presidential debatesを米国並みのqualityで行う素養がcandidatesにはない。そもそも、日本にはjim lehrerどころかanderson cooperがいない。bill o'reillyならそこら中に溢れているけれど。

一番頭がいいのはdennis kucinichだな。そして、一番候補から遠いのもkucinichだろう。ghandiみたいに正しいことを小さい声で言っても大統領候補にはなれない。background searchをしてみないと何とも言えないけれど、impactがあって、印象に残ったのはmike gravel。2004年でedwardsを聞いたときのような新鮮さがあった。試合巧者で良いadvisorがついているのはhrcで、barack obamaは足下をすくわれそう。ただ、hrcがhard ballから逃げているのはよくわかった。obamaは2004年のdncの演説で注目して、直ぐに演説を翻訳したくらいだけれど、大統領予備選はspinばっかりで彼の輝きは失われそうだ。


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